便利なものは時間が経過すると当たり前になる

生活で当たり前に使えていたものが、急に使えなったったりすると不便を感じます。先日もKDDIの通信障害で携帯電話が使えなくなったり、NTTドコモでも繋がりにくい状態になったりしています。当然ですがかなり不便を感じられた方は多かったと思われます。今日は不便について考えてみたいと思います。

1.便利になることを考え、メーカーは製品開発した

例えが悪いかもしれませんが、洗濯機がない時代は洗濯板を使って洗っていましたし、掃除機がない時代はほうきで掃いていました。当然ですが、携帯電話がない時代はポケベルや公衆電話を使用していました。その時は不便と感じていなかったのではないでしょうか。

2.当たり前になると便利になったと感じなくなり、普及してから使えなくなると不便に感じる

便利なものが当たり前のように生活の一部になると便利と感じなくなりませんか。その製品が出始めの時は非常に便利と感じるのですが、時間が経過すると徐々に便利と感じなくなっていきます。しかし、これが急に使えなくなると不便を感じざるを得ない状態になります。それがなかった時代は不便と思わなかったものが、不便と感じるのです。

3.蛇口を捻ると水道水が出るのは当たり前ではない

コンセントに繋げば電化製品が動くことは当たり前、蛇口を捻ると水が出るのは当たり前と思っていませんか。しかし、発電所が破壊されたり、送電線が切断されれば電気は供給されなくなりますし、貯水ダムに水がなくなれば、蛇口から水が出なくなります。昔、水は川に汲みにいきましたし、電気なんて当然ありませんでした。

4.当たり前の出来事は当たり前ではないことに気づかなければならない

便利になるものが発明、開発され、我々の生活は便利になりましたが、故障してそれが使えなくなったり、不適合が発生した時に使用者は早く回復することを求めます。我々は当たり前のもの(便利なもの)を使用すればするほど突発的な不適合が生じる可能性が高くなることを認識しなければなりません。その時に不快な気持ちになり、早い回復を望むのか、それとも使えなくなった時にありがたみを感じて早い回復を望むのかにより、我々の生活行動は変わるのではないでしょうか。

まとめ

  1. 当たり前のものは常に便利なものと認識する
  2. 便利なものは突発的な不適合が発生することを認識する
  3. 不適合が発生しても杞憂しない

ご一読いただき、ありがとうございました。

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