抗議することに意味があるのか?

私は日本政府が抗議したニュースにいつも違和感を持っていました。北朝鮮が大陸間弾道ミサイルICBMを日本海に向けて発射実験したことに抗議したとか、R国が非友好国に対して報復措置としてR国への入国を制限することに抗議したことがニュースになっていますが、果たして「抗議した」ことが相手国に対して何か影響しているのでしょうか。北朝鮮のミサイルに関しては抗議しても同じことが繰り返されています。今日は抗議したことに相手が受ける影響について考えてみたいと思います。

1.抗議しても問題は解決しない

抗議を辞書で調べると① 反対の意見や苦情を、相手に対し主張すること。異議を唱えること。 ② ある国が、他国の行為に対して反対であることを正式に通知すること。とあります。そもそも、相手は抗議されることがわかっていて不当な行為をしているかのようですね。つまりバカにされているわけです。もし、相手が不当な行為に対して、その見返りに相手が非常に恐ろしい状態になることを知らしめることができたら同じ行為を行わないはずです。では、何をしたらよいのか?何もすることがないから「抗議する」ことしかできないわけです。

2.抗議することを犬の行為に例えるとわかりやすい

例えが悪いかもしれませんが、私が抱く抗議のイメージは仔犬がちょっとした何かが起きてもすぐに高声でワンワン吠えるような感じです。近くで仔犬が吠えていてもちょっと小馬鹿?にしていますよね。しかし、大きな犬が吠えずに睨まれると少し怖さを感じます。仔犬は何でもかんでも吠えます。そのため相手は吠えられる(抗議される)ことに慣れてしまいます。大きな犬はある一線を越えるまでなかなか吠えません。一線を越えると吠えるどころか噛み付きます。

3.抗議の代わりに何ができるか?

日抗議の代わりに行うことを前出の犬の行為に当てはめてみると、何も反応しないことが一番当てはまるのではないでしょうか?例えば今まで何か行為をすると抗議することがわかっていますが、今回は抗議してこなかった。なぜ?その次も抗議してこない。なぜ?相手に勝手に想像させることです。想像が膨らめば膨らむほど恐怖が最大化してきます。つまり、「あいつら何を考えているかわからない」と思わせることで、これ以上行うと何を仕返しされるかわからない恐怖感と抑止力が生まれます。

4.ちょっかいを出す相手は所詮小物

ちょっかいを出す相手も小物、抗議をする方も小物です。再び仔犬の行為を例に取りますと、仔犬同士が吠えあっているような感じです。ケンカを売る側が小者で売られる側が大物なら、大物はケンカを買うことはしないでしょう。私事で恐縮ですが、私が小学生の頃、あるいじめっ子が私にちょっかいをかけてきたことがありました。当初は無視をしていましたが、無視することに相手はイラついていたのでしょう、繰り返し行ってきました。そのため、私はある一線を設けました。それは同じようなちょっかいを10回超えた時点で、相手が一人になったところを狙い、奇襲攻撃をかけてボコボコにしてやりました。当然それ以来私に対してちょっかいが行われることは無くなりました。日本政府も何もすることがないから抗議するのではなく、相手がどうしたら恐怖を感じて同じことを行わないようにするか?心理戦を考えて実行して欲しいですね。

まとめ

  1. 抗議は何度もするものではない。
  2. 抗議をしても効き目がなければ抗議をやめる。
  3. 同じ過ちが繰り返される場合は相手に恐怖を与える。

ご一読いただき、ありがとうございました。

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